徳富 蘆花

人物像・エピソード等

徳富蘆花

徳富蘆花

徳富 蘆花 1868年~1927年

明治元年、徳富家の末っ子として水俣で出生し、2歳までを過ごす。
兄・蘇峰に続いて、同志社に入学し、のち民友社社員となり、翻訳・評論等を執筆。
明治33年、代表作となる「不如帰」「自然と人生」を出版し、文壇的名声を確固とする。
明治36年、兄との意見の相違によって、国民新聞社を辞め、黒潮社を設立。
「黒潮」を自費出版し世間の反響を呼んだ。
明治・大正を通じて文学者として一世を風靡した大文豪だった。
昭和2年9月18日、伊香保「千明仁泉亭( ちぎらじんせいてい)」で永眠。

臨終の前に兄・蘇峰と15年ぶりに対面し、心和らげるに至ったことは、それ自体葛藤の歴史ともいえる蘆花の生涯を締めくくるに相応しい最期だった。

業績

不如帰(ほととぎす)

不如帰(ほととぎす)

明治元年(1868)10月20日生。蘇峰猪一郎の弟である。

蘇峰が大江義塾を畳んで東上した後も熊本に残ったが、明治22年上京して兄の民友社に入った。明治31年から国民新聞に連載した「不如帰」は実に驚異的人気を博した出世作であった。

徳富蘆花の代表著書

蘆花 著書

「灰燼」「自然と人生」「みみずのたわごと」「黒い眼と茶色の眼」「黒潮」「寄生木」「青山白雲」「思い出の記」「巡礼紀行」「日本から日本へ」その他の名作がある。

儒教主義の訓育とう洋学校のキリスト教主義、そして民友社での社会主義の輪郭、そうしたものが蘆花の文学を形づくっている。

「君は国力の膨張に重きをおいて帝国主義を執り、余は人道の大儀を執り、自家の社会主義を執る」として決別した兄とは、昭和2年9月18日伊香保温泉で没する半日前に15年ぶりで会い、互いに手を取り合って再会をした。

温泉での蘆花(徳富記念園資料:熊本市大江)

温泉での蘆花(徳富記念園資料:熊本市大江)

文壇の伝統を無視して生き抜いたために異端視された蘆花であったが、その独創的個性的な生き方は作品の上に特殊な光を放っていた。